大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和35年(ネ)1449号 判決 1967年2月17日

控訴人・原告 中村キク 外二名

訴訟代理人 中間保定 外三名

被控訴人・被告 越田昇 外一名

訴訟代理人 猪野愈 外四名

主文

原判決を取消す。

被控訴人越田昇は控訴人らに対し、京都市左京区北白川上終町一〇番地の一宅地一一〇坪につき京都地方法務局昭和三〇年七月六日受附第一七六〇三号をもつてなされた所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

被控訴人横田勝は控訴人らに対し、右土地につき京都地方法務局昭和三〇年一一月一二日受付第三〇〇九八号をもつてなされた所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴人ら代理人らはいずれも「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の主張、証拠の提出、援用、認否は、

控訴人ら代理人において

(一)  本件売買契約は被控訴人越田の父越田太一が同被控訴人を代理して締結したものである。そして被控訴人越田は右売買後本件不動産につき売買予約による所有権移転請求権保全の仮登記をしたのであるが、昭和三〇年七月六日右仮登記につき同日権利放棄を原因として抹消登記をしているのであつて、これにより被控訴人越田は右売買契約上の権利を放棄したものと解すべきであるから、同日これと別の同年六月一〇日売買を原因としてなした所有権移転の本登記は権利放棄後の登記として無効である。

(二)  中村清兵衞は昭和四〇年一一月五日死亡し控訴人中村キクは妻として、控訴人中村キミ子は長女として、控訴人中村外之は養子として相続により共同して清兵衞の権利義務を承継した。

と述べ、証拠として、甲第七号証ないし第九号証第一〇号証の一、二第一一号証第一二号証の一ないし四を提出し、当審における証人中村キク(受継前)同上羽英彦同中村喜之助の各証言控訴人ら先代中村清兵衞本人訊問の結果を援用し、乙第一〇号証の成立を認め、同第九号証の成立は不知と答え、

被控訴人越田代理人において

(一)  亡中村清兵衞が本件売買契約に当つて用いた詐術の具体的内容としては、原審で主張したもののほかさらに左の如き諸行為を挙げることができる。すなわち、

(1)  本件消費貸借が成立し仮登記申請手続完了後、仲介人佐竹や越田太一らが岡崎の料理屋で食事をした際、清兵衞は右借入金の使途を説明するかの如く、同人の家の前の庭に小屋でも建てて土産物屋をすると話していた。

(2)  本件土地の売買に際し、清兵衞は仲介人佐竹に対して知事の許可があるまでは草ぼうぼうに生しておいた方が早く許可がおりやすいと忠告までしている。

(3)  本件売買代金額の決定について、越田太一が坪三五〇〇円ときり出したのに対し、清兵衞は坪四〇〇〇円で買つてくれといい、結局仲介人のあつせんで坪三七五〇円にきまつたいきさつであり、また清兵衞は、知事の許可が得られ本登記を完了することができるかどうかがなお未定であるのに、仮登記のみで売買代金全額の支払を求めこれを受領しているのであつて、このような事実によつても清兵衞は金銭については余程がつちりした人物であることが推知されるのであつて、この点でも清兵衞は完全能力者である如き言動をしている。

(二)  本件土地につき売買予約による仮登記を経由したのは、本件土地が農地であつた関係上そのような形式をとつたにとどまり、実質上は仮登記のときに売買代金全額について決済がなされており、本登記手続に必要な一切の書類を越田太一に手渡されているのであつて、実質上仮登記当時当事者間において知事の許可を停止条件とする売買契約が成立していたのである。登記面で仮登記が権利放棄を原因として抹消されていても、それは本登記をするための手続上の一環としてみなされたもので、直ちに本登記を了しているのであるから、仮登記の抹消のみをとりあげて売買上の権利を放棄したとなすは当らない。

(三)  被控訴人越田が控訴人ら先代中村清兵衞の保佐人中村キクに対し本件契約を追認するや否やを確定すべき旨催告したが、右キクは所定の期間内に確答を発しなかつたので、その行為を追認したものと看做されるとの従前の主張(原判決表一一枚目四行目から裏五行目まで)はこれを撤回する

と述べ、証拠として乙第九、一〇号証を提出し、当審における証人越田太一の証言(一、二回)中村清兵衞本人尋問の結果を援用し、甲第七号証ないし第九号証第一〇号証の一、二の成立を認め、同第一一号証、第一二号証の一ないし四は不知と答え、

被控訴人横田代理人において、甲第七号証以下の成立につき、被控訴人越田と同一の認否をなし、当審における中村清兵衞本人訊問の結果を援用し

たほか、原判決事実摘示(ただし、原判決三枚目裏四行目の「実兄」を「実弟」と、四枚目表七行目の「保証人」を「保佐人」と、一四枚目表二行目の「被告横田」を「被告越田」と、一四枚目裏六行目の「横田キク」を「横田規矩」と各訂正する)と同一であるから、これを引用する。

理由

一、京都市左京区北白川上終町一〇番地の一宅地一一〇坪(以下本件土地という)につき控訴人先代亡中村清兵衞から被控訴人越田昇に、右越田から被控訴人横田勝に夫々売買による所有権譲渡がなされ、右各売買に基いて控訴人ら主張の所有権移転請求権保全の仮登記ならびに各所有権移転登記がなされたことは、それぞれ関係当事者間に争いがない。

ところが、右清兵衞は昭和一二年五月一二日京都地方裁判所において準禁治産の宣告をうけ、前記売買契約の当時無能力者であつたため、これを理由として昭和三一年四月九日送達された本件訴状をもつて被控訴人越田に対し右売買契約を取消す旨の意思表示をした。このことは成立に争いのない甲第一号証ならびに本件記録に徴して明かなところである。

二、被控訴人らは、清兵衞は越田との売買契約をするについて保佐人である妻中村キクの同意を得ていると主張するが、被控訴人らの全立証によるもかかる事実を認めるに足らず、かえつて原審における証人中村キクの証言ならびに中村清兵衞本人尋問の結果によれば、本件売買は妻キクに秘してなされたものであることが認められるから、右主張は採用できない。

三、次に被控訴人らは、亡清兵衞は本件売買契約にあたつて自己が能力者であることを信じさせるため詐術を用いたからこれを取消すことはできないと抗争する。

(一)  民法二〇条の「能力者タルコトヲ信ゼシムル為メ詐術ヲ用キタ」とはどのような場合をいうかについては、これを厳格に解する立場と比較的緩く解しようとする立場とがあり、民法の無能力者制度は往々にして相手方に不測の損害をこうむらせる結果ともなるので、特に取引の安全が重視されるに至つた近時においては「詐術」の意味を次第に拡張解釈する傾向にあることは否めないところである。しかしながら「詐術」という以上は、無能力者が自己の行為能力(準禁治産者の場合は保佐人の同意を得ていることをも含めて)についての相手方の誤信を生ぜしめたり、またはこれを強めたりするために、何等かの積極的行為をすることを要するはもちろんであつて、たんに無能力者であることを告げなかつたというような消極的態度は、その黙秘が具体的状況のもとにおいて詐術としての積極的意味をもつものと評価すべき特段の事由がある場合は別として、一般的にはこれに該当しないものと解するのが相当である。何となれば、無能力者が同意を得ずして法律行為をなす場合、相手方に自己が無能力者であることを黙秘するのは、むしろ当然のことで、いわば世間普通の状態であり、もし単なる沈黙が詐術になるとすれば、無能力者であることを善意の第三者に対抗し得ないというのとほとんど同じ結果になり、無能力者を保護するために取消権を与えた法の精神を全く滅却するに至るからである。そしてこのことは未成年者の場合であると準禁治産者の場合であるとによつて何ら異なる道理はないものというべきであらう。

(二)  そこで本件における具体的事実関係をみるに、成立に争いない甲第二号証同第三号証の一ないし四、乙第一号証同第六、七号証、原審における証人佐竹亀次郎同宮本幸一郎の各証言原審ならびに当審における証人越田太一の証言(一、二回)中村清兵衞本人尋問の結果ならびに当審における証人中村喜之助同中村キク(一、二回)の各証言を総合すると、亡清兵衞は智脳の程度が低く尋常小学四年中退で学業を放擲し、早くから悪友に誘われて茶屋遊びを覚え、賭博、競輪等の賭事に耽り、これらの資金を得るために伝来の相続財産を次々に処分し、ついにはこれを蕩尽するおそれがあつたので準禁治産宣告を受けるに至つたもの、亡佐竹亀次郎は亡清兵衞の妻でありその保佐人となつた中村キクの実家に近い京都市左京区一乗寺才形町で農業を営み予てから亡清兵衞と顔知りであつたところ、その頃同人から金借方斡旋を依頼されたので、自己が汲取りに出入していた被控訴人越田の父越田太一に話をもちかけ、かくして亡清兵衞は昭和二九年九月一八日右佐竹の仲介によりその所有にかかる本件土地を含む京都市左京区北白川上終町一〇番地畑七畝二七歩に抵当権を設定し、越田太一から一五万円を返済期日昭和三〇年六月末日利息月五分毎月末払の約にて借受け、佐竹に対する礼金一万五、〇〇〇円と同年九月分の利息等を差引かれ、残金の交付を受けたこと、その後亡清兵衞において同年一〇月分以降の利息を支払わなかつたところから、再び佐竹の仲介斡旋により期日前の昭和三〇年一月二二日頃越田太一がその子被控訴人越田昇を代理して前記土地のうち本件三畝二〇歩(一一〇坪)を買受け、その代金をもつて貸付元利金の清算を受けることとなり、本件土地の売買代金について亡清兵衞は一坪当り四、〇〇〇円と主張し、越田太一は三、五〇〇円と主張していたが、仲介人佐竹亀次郎が仲をとつて三、七五〇円と決め、一一〇坪を代金四一二、五〇〇円で売渡す契約が成立したこと、ただし右土地は農地であつて、その譲渡ならびに地目変更について知事の許可を要するので、とりあえず分筆登記のうえ被控訴人越田名義に所有権移転請求権保全の仮登記をしておくこととし、清兵衞において司法書士上羽万吉に右分筆登記および所有権移転請求権保全の仮登記手続を委任するとともに、知事の許可があつた場合被控訴人越田に所有権移転の本登記をなすことを約し、右上羽を介して本登記手続に必要な自己の印鑑証明書(甲四号証の三)委任状(同号証の四)を越田太一に交付した。かくして前記抵当物件中より売渡すべき本件三畝二〇歩(一一〇坪)について昭和三〇年一月二四日受付をもつて同町一〇番地の一として分筆登記を経由し、同日同物件について冒頭掲記の所有権移転請求権保全の仮登記(上羽司法書士を双方の代理人とする)を了し、仮登記当日越田太一は売買代金中より自己の亡清兵衞に対する貸付元利金の弁済を受けることとし、これを差引き残代金を亡清兵衞に交付したこと、その後清兵衞は右売却土地につき京都府知事に対して被控訴人越田を譲受人とする農地法五条による所有権移転ならびに宅地への地目変更の許可申請をし、その許可があつたこと、越田太一は右請求権保全の仮登記を経由し、残代金の支払を了するまでは亡清兵衞が準禁治産者であることを知らず、仮登記後所有権移転の本登記をなすまでの間に亡清兵衞金借の事実を察知した保佐人中村キクから詰問を受け始めて亡清兵衞が準禁治産者であることを覚知したことおよび亡清兵衞は前認定のとおり当初越田太一から一五万円を借受けその利息の支払をなし得ざるに及んで本件土地売却の挙に出たものであるが、その間終始自己が準禁治産者であることを黙秘していたけれども、一方進んで自己が能力者であることを告げた事実もないこと、以上のような事実が認められるのであつて、このような事実関係のもとにおいては、本件越田との売却契約にあたり清兵衞が自己が能力者であることを信ぜしめるため詐術を用いたものと認めることはできない。すなわち、

(イ)  清兵衞が前記取引にあたつて、自己が準禁治産者であることを告げなかつたことがそれだけで詐術を用いたものといえないことは、すでに上述したとおりであり、

(ロ)  また清兵衞が、被控訴人らの主張する如く、本件売買に当つてその代金額の決定、登記関係書類の作成、本件土地の所有権移転および転用についての知事に対する許可申請などに関してある程度積極的に行動したことは、前段認定の事実からして明かであるけれども、既述の如く清兵衞はこれまでにもたびたび所有不動産を他へ処分した経験をもつており、その手続についても明るかつたものと推認されるので、自己の秘密の借銭の始末をつけるための本件土地の売却に当つてみずから売主として積極的にその手続を進めたからといつて別に不自然でなく、特に同人において自己を能力者であると信じさせる目的でこれらの行動をしたものと認めるに足る証拠のない本件においては、直ちにこれをもつて詐術を用いたものというには当らないというべきである。

(三)  もつとも、原審における証人佐竹亀次郎の証言によると、本件売買取引の過程において、亡清兵衞が佐竹亀次郎に対し「自分のものを自分が売るのに何故妻に遠慮がいるか」と答えていることが認められる。しかしながら民法二〇条にいう詐術とは、能力に関するものであることを要すると解すべきところ、当審における証人中村キク同越田太一の各証言(いずれも第二回)弁論の全趣旨を総合すると、本件土地は以前から清兵衞の妻キクが耕作していたので、これを知つていた佐竹亀次郎が夫婦間の円満を慮つて「畑(本件土地)は奥さんも作つているのに相談しなくともよいか」と質したのに対して答えたもので、亡清兵衞の能力に関しての言辞ではないことが認められるのみならず、佐竹はたんなる仲介にすぎないのであつて、越田太一が佐竹から右の事実を聞知したのは本件訴訟が提起された後であることが前記越田太一の証言によつて明らかであるから、右の事実はこれをもつて詐術を用いたというには当らない。

(四)  なお、被控訴人らは、清兵衞が仮登記後佐竹亀次郎、越田太一と京都市岡崎の料理屋で食事をした際金の使途について説明するごとく、自家の前の庭に小屋でも建てて土産物屋をすると話したとの点をとりあげて、右は詐術に当るというが、当審における証人越田太一の証言(第二回)によれば、右は本件売買契約がなされた後の出来事であることが認められるから、これをもつて契約締結に当つての詐術ということはできない。

四、そうだとすると、本件売買契約は、昭和三一年四月九日本訴状の送達とともに適法に取消され、初より無効なものと看做される結果、被控訴人越田は遡つて無権利者となり、被控訴人横田は、無権利者よりの買受人であるから、これまた権利を取得するに由がないから、いずれも右清兵衞に対して前記各売買による所有権移転登記を抹消すべき義務を負うに至つたものというべく、清兵衞が昭和四〇年一一月五日死亡し、控訴人等が相続により共同して清兵衞の権利義務を承継したことは被控訴人等において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。従つて控訴人らに対し、被控訴人越田は主文第二項の、被控訴人横田は同第三項の各所有権移転登記の抹消登記手続をなすべき義務がある。

五、被控訴人横田は、亡清兵衞と被控訴人越田間の売買契約が取消されたとしても、右取消に伴う被控訴人越田の所有権移転登記抹消登記義務と亡清兵衞の四一万二、五〇〇円の売買代金返還義務は同時履行の関係に立つところ、被控訴人横田は被控訴人越田の亡清兵衞に対する代金返還請求権を承継した。仮りに右承継をなしとするも、被控訴人横田は、被控訴人越田に代位して右権利を行使し、同時履行の抗弁を提出すると主張する。しかしながら、被控訴人横田が被控訴人越田の右代金返還請求権を承継したことはこれを認めるに足る証拠がなく、また被控訴人横田が同越田の清兵衞に対する代金返還請求権を代位行使するためには、被控訴人横田の同越田に対する代金返還請求権を保全するため必要な場合でなければならず、そのためには、保全される債権が金銭債権である以上、被控訴人越田の無資力が要件となるところ、この点についても何等の証拠がないので右抗弁はいずれも採用できない。

六、右の次第であるから、本件売買契約の取消を理由として被控訴人両名に対し前記各所有権移転登記の抹消を求める控訴人らの本訴請求を正当として認容すべく、これを排斥した原判決は不当で本件控訴は理由がある。よつて民事訴訟法第三八六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小石寿夫 裁判官 宮崎福二 裁判官 松田延雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例